耽読サイード

久しぶりに、サイードをまとめて読み返そうと思い経ちました。

というのは、僕の住んでいる街にある、わずか7席の小さなバーの、僕と同い年のバーテンダーが「サイードなき今、誰を読めばいいんだろう?」と言ったから。「出藍の誉れ」としか形容のできない本国のスコッチを越える静かな味わいのウィスキー「白州」を飲んでいた僕は、「あー、酔っ払ってるのに、なんだかいいことを聞いてしまったなー」と。

さまざまな政治的・地政学的な状況下で紛争の収まらないこの地球で、ひとつの国家や、ある種の思想潮流に与することなく、「どこでなにが起きているのか」を、ある時は愛情ぶかく、ある時は冷徹なまでに理論的に語ってみせた、エドワード・サイード。サイードは現状の注意深い観察を通して、「あるべきこの星のすがた」を考えていた思想家だったのかもしれません。

「つまるところフーコーの業績の核心には、どのように表現された概念であろうと、つねに他者に対する感性が背後に流れている」(サイードミシェル・フーコー 1927-1984」)。

…サイードもまた。

―ところで。先日仕事のあと、ななせに「サイードはどう?」と訊いてみました。
N「思想的には好きな人ですね」
H「いいよね、サイード、彼のかわりがいないよね、チョムスキーかな?」
N「でもアレなんですよね、サイードって」
H「アレって?」
N「イケメン」
H「そうなんだよね!」
N「リチャード・ギアみたい!」

僕とななせはあと10年くらいサイードを読まないと、彼の本質はとうてい理解できなさそうです。

Text by Hayasaki