「椿会展 2008 Trans-Figurative」

            
【ART REVIEW】

先日何気なく本に目を通していた時、ある言葉が胸に刺さりました。
「炭鉱のカナリヤ」
作家カート・ヴォネガットが生前のインタビューで、文筆家を含む芸術を担う人々の社会での役割を問われた際に答えた言葉です。非常に先鋭的な表現ですが、世界はカナリヤの声に十分に耳を傾けられていないのではないのか、そんな現状への批判をも感じます。

先日訪れた〈椿会展 2008 Trans-Figurative〉は、芸術家と社会の好ましい関係を見せてくれたように思います。椿会は戦後に資生堂支援のもと誕生したグループ展で、今回は第6次メンバーのうち4名が出展しています。

会場に入るとすぐ、糸と金属を用いた塩田のインスタレーションが目をひきます。向かい合うのは丸山直文の抽象とも具象ともつかぬ絵画作品。その隣はやなぎみわによる若い姿と老婆の姿が対になった3女性の寓意的な写真。奥には袴田京太郎による重ねたアクリル板から削り出したカラフルな彫刻があります。作風の異なる4作家が、それぞれの世界を壊すことなく凛然と共鳴しあっています。

椿会最大の特長は、定期的なメンバーの入替制度と活動のゆるやかさにあります。活動期間中各年4名ずつ展示しますが、組み合わせは固定されません。この流動性にはギャラリー発足時の理念「同時代性の重視」と「新しい価値発表の場」が、時を経ても息づいていることを感じます。日本は芸術と社会が密接しているとはまだ言えません。そうした状況に臨み続けるパイオニアとして、資生堂の芸術支援活動には学ぶことが多くあるのではないか、そう感じつつ会場をあとにしました。

Text by AYAKA