ちょうどよい、距離。


工藤直子文/長新太絵『ともだちは海のにおい』(1984年,理論社)
人と人の間のちょうどよい距離っていうのは、こういうことだな。『ともだちは海のにおい』を読んでいると、そんなことを思います。

運動が得意ないるかと、ビールと読書が好きなくじら。ふたりは、静かな静かな夜の海で出会います。
いるかが「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとお茶を飲みたくなる」と言うと、
くじらが「さびしいくらいしずかだと、コドクがすきなぼくでも、だれかとビールを飲みたくなる」と言います。
そうして友達になったふたりは、一緒にお茶を飲んだり、ビールを飲んだり、何かをしたり、何もしなかったりして、ゆるやかな時を過ごします。くじらがパリに行っている間も、帰ってきた後も、いるかはくじらが好きだし、くじらはいるかが好きです。くじらは詩を作っているかに聞かせるのが好きで、いるかはその詩を聞くのが好きです。

ふたりの間にある、遠すぎもせず近すぎもしない絶妙な距離感が、とても素敵です。どんなに長い時を一緒に過ごしても、お互いはお互いの自慢の友達で、好きなところを褒めてあげるし、褒められたら照れてしまう。お互いはお互いをいつも大切だと思っているけれど、時々長い旅にも出る。一緒に何かをすることや、何もしないことが、楽しいと思える。いるかとくじらの友情は、丁寧で、自然で、本当にちょうどよいと思います。

また、工藤さんの美しい風景描写や詩も、この本の魅力の一つです。
「満月の夜である。海いっぱいに、月の光がこぼれ、波のあたまは、百万のあかりのようにかがやいている。ひかる海を、くじらといるかが、ゆるゆる泳いでいた。ふたりのあたまも、ぬれてひかっている。」
私は夜の海を見るといつも、この本のこの部分を思い出します。夜の海のたくさんの“波のあたま”が輝いているのを見ると、どこかで本当にあのふたりが泳いでいるような気がして、何だか安心するのです。

運動が得意ないるかと、ビールと読書が好きなくじらの物語。ゆっくり、ゆっくり、読んでみてください。
Text by NANASE