うたかたの日々


ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』伊東守男訳(2002年,早川書房)
儚いものは、美しい。古くからあらゆる文学や芸術において考えられてきたこの概念が、純粋で透明な一編の物語として見事なまでに昇華された作品。それが、ボリス・ヴィアンの『うたかたの日々』だと思います。

奇妙な音楽が彼女の胸の内から聞こえてくるな」―肺に睡蓮が巣食うという奇病に侵されたクロエと、恋人コランの間の、悲痛なまでに優しく温かな愛情。どうにもしようのない、様々な凶気が混沌としていて、それでいて形作られたただ一つの美しい世界。パリの片隅で生きる若者達の、極めて清らかで儚い日々を、作者独特のユーモアと上質で滑らかな言葉の遊びによって表現した小説です。

本書の作者ボリス・ヴィアンは、作家、詩人、画家、劇作家、俳優、トランペッター、歌手など、数多くの顔を併せ持つフランスのマルチ・アーティストです。1959年に39歳の若さでこの世を去りました。当初、文学者としての彼の評価は極めて低いものでしたが、その死後、ボーヴォワールサルトルコクトーらの絶大な支持によって確かな名声を獲得しました。彼の文学世界は、あらゆる束縛から解放された、自由な言語表現への欲求に満たされています。もしそうでないならば、“キッチンのハツカネズミは太陽の光線が蛇口にあたる音で踊っており、光線が床の上に霧のように飛び散って黄色い水銀のように小さな玉になるのを追いかけ回していた。”なんていう文章は決して生まれないでしょう。

「現代でもっとも悲痛な恋愛小説」と評される本書。別の翻訳では『日々の泡』という邦題もあります。ぜひ、一度手にとってみてください。

Text by NANASE