レヴィ=ストロース追悼


先月の30日、「構造主義の祖」といわれるフランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが亡くなった。100歳だったという。

レヴィ=ストロース構造主義は、各社会において人間を本質的に支配している無意識の「構造」を明らかにした。個人を支える価値というものは絶対的ではなく、言語や民族、社会などあらゆる要素が連関した構造に支配されている。それ故、それぞれの社会や民族に単純な優劣をつけることなど不可能である。この思想は、進歩・発展への信仰に彩られた近代の西洋中心主義を否定し、従来非合理的で遅れていると考えられてきた未開の土地の諸文化に光をあてた。ポストモダンの流れの中で登場した彼の思想は、今なお世界中の多くの人々に影響を与え続けている。

彼に影響を受けた人類学者の一人、中沢新一は、ある対談集の中でレヴィ=ストロースの思想を仏教との関わりというユニークな視点から論じている。
人間の精神が、貝殻の美と同じような美をその文化を通じて実現できたとき、この地球上に存在しても悪い生き物じゃないんだということをレヴィ=ストロースはしきりに語ってきました。
中沢の解釈によれば、人間は自然の中に文化を形成したことによってどうしようもなく不幸な存在になってしまったけれど、自然と文化のちょうど良い調停点を探すことによってそれを克服できる。その「中観」的な思想が、仏教なのだと。中沢がチベット仏教の研究にのめり込むきっかけにも、構造主義の思想があったという。私はこれを読んだとき、その新鮮な発見に心が躍った。

このブログにも何度か登場しているエドワード・W・サイードの「オリエンタリズム」批判からも言えることだが、「異文化をどう理解するのか」は人類にとって今も昔も極めて重要な課題である。とりわけインターネットという画期的なメディアの普及、それとともに急速に進む近年のグローバル社会の中では、ますます大きな問題として提起されるようになっている。だからこそ私は、構造人類学の創始から50年以上を経た今、レヴィ=ストロースの残したものを再考する意義を強調したい。世界に溢れる差異を知り、その多様性をありありと認識した上で、日本人として何を受信し、発信することができるのか。レヴィ=ストロースという偉大な知識人の死は、私たちにもう一度「思考すること」の重要性を説いている。そんな気がしてならない。

中沢新一/河合隼雄ブッダの夢 河合隼雄中沢新一の対話』(2001年,朝日新聞社)より
Text by NANASE